旧約聖書 「シラ書」の朗読

 憤りと怒り、これはひどく忌まわしい。罪人にはこの両方が付きまとう。
 復讐する者は、主から復讐を受ける。主はその罪を決して忘れることはない。
 隣人から受けた不正を赦せ。そうすれば、願い求めるとき、お前の罪は赦される。
 人が互いに怒りを抱き合っていながら、どうして主からいやしを期待できようか。
 自分と同じ人間に憐みをかけずにいて、どうして自分の罪の赦しを願いえようか。
 弱い人間にすぎない者が、憤りを抱き続けるならば、いったいだれが彼の罪を
 赦すことができようか。自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ。
 滅びゆく定と死とを思い、掟を守れ。
 掟を忘れず、隣人に対して怒りを抱くな。
 いと高き方の契約を忘れず、他人のおちどには寛容であれ。


 カトリック教会では、毎週ミサ(礼拝)が行われています。その中で主日(日曜日)のミサには、
3つの聖書が読まれます。

第1朗読は旧約聖書・第2朗読は新約聖書使徒たちの宣教活動)・
第3朗読は、イエスの言動を語った福音書

今日の個所は、シラ書。別名 集会の書とも言われています。この書は、紀元前2世紀に書かれ、
カトリックのみ聖典とされております。この著者ベン・シラは律法の専門家として当時のユダヤ人の
信仰生活にとって最も必要な教訓だったのではないでしょうか。

復讐するな、隣人から受けた不正を赦せ、敵意をすてよ。
これは現代の私たちにも、当てはまることではないでしょうか。
新聞・テレビのニュースを見ると、忌まわしい事件が多すぎます。
毎日、どこかで人の生命が失われております。しかも他人の手によって。

キリストは、愛することを教えられました。
キリストは、人を赦すことも教えられました。

確かに人間は、心に受けた傷はなかなか消えるものではありません。
辛いです。苦しいです。悔しいです。

しかし、天の父(神)は、私たち一人一人を見つめています。
愛しておられます。

私たち、そんな弱い人間同志が集い、祈り、語り合いながら心を開いていける共同体。
それが、キリストの教会の姿です。

一度、足を運んでみては如何でしょうか。