ヨハネによる福音 1.6−8、19−28

 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。彼は光ではなく、光について証しをするために来た。
 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの予言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。
 「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」
遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

 12月25日は、イエス・キリストの誕生日。この日は、キリスト教徒のみならず、世界中で祝われている。
ある人は家庭で家族と一緒に、またある人は親しい友人と共に、ワインを飲みながら、ケーキを食べ、平和な時間を過ごしている。
子供たちは、サンタクロースの贈り物を楽しみに待っている。
 しかし、世の中には、クリスマスを祝いたくとも祝えない人がいることも現実である。
食べ物がなく、明日の生命が分からない子供たち。戦争によって、身の危険を余儀なくされている人。
地震・災害にあって身内・家財・職業等を失った人々。
 12月になると、歳末助け合い運動が行われているが、私たちは日ごろ彼らに心を留めなければならない。
キリストは、最も小さき者(世の中から見放された人たち)にしたことは、私にしたことだ。
      最も小さき者にしなかったことは、私にしなかったこと。
 私たちがいま一度、自分の生活を見直して、彼らに目を向けられる社会を造り上げていかなければならない。
ヨハネが、「主の道をまっすぐにせよ」と荒れ野で叫んだ。主の道こそ、神が望まれる道。
現代社会は、荒れ野と言ってもおかしくない世界。
 ほんとの意味のクリスマスを、味わって見ようではありませんか。