ルカによる福音

 (そのとき、)イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、
「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが入ろうとしても入れない人が多いのだ。


 救われる。とは、要するに我々が死後、神の国(天国)に迎え入れられる人のことです。
エスは、「狭い戸口から入るように努めなさい。」と言っております。この狭い戸口とはどう言う意味でしょうか。私たちは、子供の時から嘘をついてはいけません。他人の者を盗ってはいけません。自分の親を大事にしましょう。と、両親から教えられて来ました。また、人間を2つに分けて、善人と悪人。
 仏教では、善人は極楽へ、悪人は地獄へと、教えられています。
そこで、善人・悪人を考えたいと思います。私たちはよく法律を根拠に判断をします。特に刑法犯、殺人、窃盗、など。だから私は、法律を守っているから、正しい人のだ。と言うように誤解しています。
 しかしイエスは、法律よりも大切なもの。それは、愛です。「あなた方は、互いに愛し合いなさい。」
私たちから出る、言葉と行いが、愛によって発せられているか。又、私たちの近くで、助けを必要としている人に、隣人として愛の奉仕が出来るのか。家族・親族、親しい人には、ある程度出来るかもしれません。キリストによれば、そのようなことは、異邦人(一般人)でもしていることだと、言っています。
 よく、我が敵を愛せ。と言う言葉があります。まさしく、自分をよく思わない人、憎んでいる人、
極端に言えば、自分を殺そうとしている人さえも、赦しなさい。愛しなさい。と、言われる。
 キリストは十字架上で、自分を殺そうとする人のために、天の父に赦しを願ったと、言われています。
現在、死刑制度の是非が叫ばれておりますが、真の赦しがなければ改心も期待できません。人間は誰も弱い者です。罪は個人の行いだけでなく、その人がおかれた社会的背景があることも知ってほしいのです。
言わば、私も含めて国民全体が回心の必要があるのではないでしょうか。
 それを考えると、天国へ行くことは、何と難しいことでしょう。